ルーツをたどる
淑氏の歴史をたどる 〜手登根大比屋〜
歴史の苦手な私が少しずつ歴史の勉強をしています。
まずは手始めに琉球の歴史です。
琉球王国は尚家が有名ですが、実はその前から歴史はスタートしているようです。
天孫氏王統
↓
舜天王統
↓
英祖王統
↓
三山時代
↓
第一尚氏王統
↓
第二尚氏王統
という流れらしいです。
今日は、第一尚氏王統についてちょっと勉強してみました。
第一尚氏王統は、北山、中山、南山の三山統一を果たした尚 巴志(しょう はし)は、父である思紹(ししょう)を王位につけた。
思紹の子供として、長男・尚 巴志、三男・平田大比屋、五男・手登根大比屋という記述が残っているらしいのですが、尚 巴志と平田大比屋と手登根大比屋の母は違うという説も・・・。
平田大比屋と手登根大比屋のお墓は現在の佐敷手登根に位置しています。
平田大比屋の子孫は孫氏となり、手登根大比屋の子孫は淑氏になっているとのことです。
ということは、淑氏の大元は手登根大比屋ということなのだろうか。
wikipediaなどでは「伝承」と書いてあるのだけど、これは、古くからの言い伝えという意味でしょうか・・・。
うーん。歴史は深い。
そのお墓の近くにたつ、風力発電の鉄塔と青空。
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琉球王国は尚家が有名ですが、実はその前から歴史はスタートしているようです。
天孫氏王統
↓
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↓
英祖王統
↓
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↓
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↓
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第一尚氏王統は、北山、中山、南山の三山統一を果たした尚 巴志(しょう はし)は、父である思紹(ししょう)を王位につけた。
思紹の子供として、長男・尚 巴志、三男・平田大比屋、五男・手登根大比屋という記述が残っているらしいのですが、尚 巴志と平田大比屋と手登根大比屋の母は違うという説も・・・。
平田大比屋と手登根大比屋のお墓は現在の佐敷手登根に位置しています。
平田大比屋の子孫は孫氏となり、手登根大比屋の子孫は淑氏になっているとのことです。
ということは、淑氏の大元は手登根大比屋ということなのだろうか。
wikipediaなどでは「伝承」と書いてあるのだけど、これは、古くからの言い伝えという意味でしょうか・・・。
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